落ち着いたところでPS4とWiiUについて比較しながら、ゲーム機の進化について考えてみたいと思います。
●ゲーム機の進化
●両機の特徴
先述のとおり、SONYは順当なスペック強化を図っています。リアルで深い世界観を構築し、複雑な処理をこなします。ゲームスタイルとしては、1人黙々とやり込むタイプ、作り込まれた世界観に没入するようなタイプのゲームが多い印象ですね。また、オンラインマルチプレイでは非常に精緻に仮想世界が描かれ、その世界に飛び込んで大勢のオンラインプレイヤー達と遊ぶスタイルのゲーム作りが意識されています。
任天堂はWiiUではそのようなゲーム作りはしていません。ともすれば、WiiUはライトユーザ向け、子供向け、とバカにされる事がありますが、ライトユーザ向けいうより「複数人プレイ向け」に重点を置いているといった方が正しいでしょう。マリオもそうですし、Wiiパーティー、Nintendoland、ゲーム&ワリオなど、以前の任天堂と比べても遥かに「パーティープレイ」を意識したゲームが増えています。オンラインマルチプレイではなく「現実にそこにいる人たちで遊ぶ」というリアルパーティープレイです。Wiiリモコンの使い方もそう、ゲームパッドの使い方もそう、任天堂の戦略そのものが家族や友達と「ワイワイ楽しむ」という方向へ向いています。
任天堂は向こうの世界に飛び込むのではなく、あくまでプレイしている自分や友達がここにいて、何をして遊ぶか?というオモチャの一つとして「ゲーム機」を提示しているのです。SFC、64、ゲームキューブ等の頃と違って、Wiiで「遊びとは何か?」の初心に帰り、WiiUで更に大きく舵を切りました。
●遊び方の違い
逆に、友達が遊びに来てワイワイゲームで楽しみたい。という人にはSONY機は向かなくなっています。もちろんスポーツゲーム等リアルな複数人で楽しめるゲームもありますが「複数人で遊ぶ」という部分に特化するならWiiUのゲーム性、ラインナップは圧倒的です。例えば家にSONY機しかないと、友達が家に遊びに来てゲームでもする?という時、ずらっと沢山ゲームはあるのに、一緒に遊べるゲームがほとんどなく「このゲーム見てみる?やってみる?」というゲーム紹介しかできなくなるでしょう。
●据え置きゲーム機の目指すべき方向は?
据え置きゲーム機が生き残るには「据え置きでなければいけない理由づけ」が必要なんです。
かつてリビングで友達とワイワイ遊ばれていたゲーム機はいつしか個人部屋に移動し、非常にパーソナルなオモチャになりました。一人プレイで長時間やりこむスタイルのゲームが圧倒的に増えました。しかしながら同様にPCやスマホなどは究極のパーソナルデバイスです。そのままPCやスマホと同じパーソナルな土俵で争っても厳しいのは目に見えています。だからこそ原点に戻ろうとしたのが任天堂の思想です。
任天堂は、リモコンやゲームパッドを用いて、また複数人でのプレイを重視する事で、「そこにみんなが集まるから面白い」という視点で開発しています。スマホじゃできない、オンラインじゃできない、みんなが同じ画面を見る事で遊びが成立する、わいわい声を掛け合ったり、ツッコミを入れながら楽しむ空間を提供する。画面の中だけに世界があるのではなく、その画面を見ている人間たち全員が遊びの世界を作り出す。だからリビングに人が集まる。という、据え置きである事の本来の価値を再び作ってくれました。
私は任天堂が単に高スペック化に走らず「据え置きゲーム機の価値を再定義しよう」としたこのビジョンは非常に素晴らしいと思っています。
しかしながら、古参のゲーマー達が着いてきませんでした。「洋ゲーの台頭」と「オンラインにこそ未来はある」という思想の中で世界のゲームが進化してきていて、ゲーマー達もそういう観点でしかゲーム機の進化を捉えられなくなっているような気がします。その目線で任天堂機を見るとどうにも期待外れで、性能も劣るゲーム機というようにしか見えないでしょう。
SONY機の進化の仕方は、昔からの流れのままです。ゲーマー達からすると欲していたスペック強化が図られていて受け入れやすいと思います。オンライン連携などデジタルガジェットとして最先端にいます。ただ、もうそれではライトユーザばかりか、一般的なゲーマーも離れていってしまう可能性があります。コアなゲーマーだけが「これ凄い!」とマニア趣味に走っていくクローズドな世界になります。それはそれでいいんですが、マーケットが縮小してしまうと業界そのものが縮小し、技術開発の投入コストも減るので将来性がありません。
圧倒的な力を持つスマホはあらゆるエンターテイメントコンテンツを縮小に追いやっていますが、コンシューマゲームの世界も必然的に縮小させられています。かくいう私もゲームで遊ぶ時間の大半がスマホになっています。
今のところWiiUもPS4も成功とは言えない状態です。任天堂の狙いは良かったと思いますが、結局市場に刺さらなかったという意味では派手に失敗している状態です。でも任天堂はそれも分かった上で勝負しているんじゃないでしょうか。ライバルはSONYではなく「据え置きゲーム機以外の市場」です。パーソナルなデバイスが増える中、任天堂は「もう一度目の前にいる人たちと笑い合おう」というアナログなメッセージを与えてくれている気がします。
一方、PS4は順当な進化をさせましたが、もうそれだけではユーザが着いてこないという事を露呈しました。SONYもやはりそれを分かった上で勝負をしていると思います。SONYにとってもライバルはWiiUではなく「据え置きゲーム機以外の市場」です。PCやスマホに対して「純度の高いゲーム機としてのプライド」で戦いたかったんじゃないでしょうか。デジタルエンターテイメントの最先端はここにある。と主張しているような気がします。
そう思うと、狭い世界で両機の信者が叩き合いをしているのは本当に愚かしいですね。
●ゲーマーの主観
私がもう一つ残念に思うのは、古くからのゲーマーの中に「もうマリオは飽きたよ。別の作れよ」「まだこんなジャンルのゲーム作ってるのか、進歩がない」など自分目線だけでソフト批判をする人たちがいる事です。
ゲームはもちろん進化していきます。でも、それは必ずしも「変化」である必要はありません。自分自身は様々なゲーム体験を経て、どんどん新しいジャンル、新しいゲームをやりたいと思うでしょう。でも、これからゲームを始める人だっているんです。確かに20年以上前からマリオを知っている私からすれば「マリオはさすがに飽きたなぁ」と思う事もありますが、自分の子供からすればマリオだって凄く新鮮なキャラクターです。
ドラえもんとかもう見飽きたよ。っていう感想は何らおかしくありませんが、だからといって自分だけの感覚で「ドラえもんとかもう制作止めろよ」というのはおかしいんです。ドラえもんは大人になったあなたの為に制作されている訳ではないのです。
続編ばかりであぐらをかいているのは批判されるべきですが、そうとばかりは言えない、という見極めは大事だと思いますね。古くからのゲーマーというのは「沢山のゲームを体験してきた」との自負が強すぎて、自分が楽しめるかどうか、自分にとって新鮮かどうかが「客観的な評価」であるように錯覚している気がします。頭でっかちにゲーム史や開発背景などから批評したがるクセがあります。でも、そんな批評よりも、大笑いしながらWiiUに夢中になっている子供達こそ真実だと思います。私自身も気を付けないとなぁ。と思っています。
そういう意味では、同じキャラクター、同じコンセプトでゲームを作りながら、新しいゲーマーに最先端の体験をさせつつ、古いゲーマーにも新鮮さを感じさせ、そしてプレイヤー達が笑ったり、ツッコミあったりしながら楽しめる「スーパーマリオ3Dワールド」は本当に評価に値します。グラフィックの進化だけに逃げているfpsゲームと比べれば格段に凄いと思います。
●ゲーム機の今後は?
WiiUのようなコンセプトが成功しないとすると据え置き機の将来は明るくないでしょうね。AV機器と同じで、一部の人達だけが喜ぶマイナー趣味に成り下がるでしょう。個人的には非常に残念ですが、これはコアなゲーマーも、一般ユーザも、そして任天堂自身も皆がその方向に導いているような気がします。
単なる仮想ゲーマー批判みたいな記事になってしまいましたが、PS4もWiiUもスマホもいろんなアイデアと技術を出しながら、楽しいエンターテイメントとして成長していって欲しいなぁ。と思う次第です。それを消費者が下らない偏見やドヤ顔で批判して潰す必要なんてないのになぁ。と思います。
私がこれまで所有してきたゲーム機の中でPS4は39台目のハードになります。
記念すべき40台目のゲーム機は何か?を楽しみにしつつ、これからもゲームを楽しんでいきたいと思います。